最近になって、ちゃんと写真を撮り始めました。
カメラ自体は10年ぐらい前から、ちょっと本格的なカメラは持っていましたが、写真をちゃんと撮るということには無関心だったと思います。
そんな僕が、ちゃんと写真を撮り始めた理由を話していこうと思います。
写真をちゃんと撮り始めたきっかけ
漫画家の五十嵐大介さんの「魔女」という作品があります。
この作品は、魔女を題材にした短編集です。
その本の中でハッとする一文がありました。
魔女の子弟の話で、お弟子さんが本を読んで勉強しているところで、先生がこう言いました。
「本を読んではいけないって言ってるでしょう!あなたには経験が足りないから。”体験”と”言葉”は同じ量ずつないと心のバランスがとれないのよ。」
この漫画を読む前の僕は、仏教にはまっていました。
仏教(大乗仏教ではなく、初期仏教)が伝えていることを理解できれば、世界をもう少し理解できると思って、小難しい本ばかり読んいました。
仏教の理解は進みましたが、心には何かわからない重い感覚がずっとあり、何がそう思わせているのかわかりませんでした。
そんな時にこの文章に出会い、情報を入れるだけで出してない状態で、心のバランスが取れていないからだと気づきました。
情報を入れ過ぎて出すことをしていなかったので、咀嚼することができていなかったんだと思います。
出すということは、言葉を発するだけではなく、自分の感覚と向き合うということだと思います。
今自分がどう思っていいるか、どう感じているか。自分にちゃんと向き合うことです。
僕にとって、自分と向き合って何かを表現する行為は写真かなと思い、写真を撮りはじめました。
自分を表現することでより良い生活が送れる
注意してほしいことが、自分を表現して誰かに評価されることに重きを置き過ぎないということです。
確かに誰かに評価されることは気持ちが良いです。
ですが、その快感は副産物であって、それを目的に表現すると自分と向き合うという軸がブレてしまいます。
承認欲求というものもありますが、それは評価の軸を他人にまかせ、自分を後回しにしてしまいます。
自分にとってなによりも大切なものは、自分じゃないでしょうか。
自分がどう思っているか、なにが楽しくて、何が良いと思っているか。
それを理解していく為に、自分と向き合うのだと思います。
あなたにとっては自分と向き合うものは何でしょうか?
あなたにとっては、曲を作ることかもしれません。3Dをつくることかもしれません。映像を作ることかもしれません。
先駆者と比べるとつたない表現から始まりますが、楽しいという感情を指標に進んでください。
僕は、写真を現像している時は、「この写真めちゃめちゃ良いじゃん」って思って楽しくなります。
楽しいからもっと上手くなりたいと思って、技術を学びます。
その行為は、一般的に言われている勉強という、ネガティブな要素が隠れているものとは全く違います。
楽しいからやりたくなる、技術を高めることが苦ではない行為です。
興味があることをどんどんやっていきましょう。
三日坊主で終わるかもしれませんが、それは悪いことではなく、自分が楽しいことではなかったということが分かっただけで、次に楽しいことを探せばいいだけの話です。
誰かにどう言われようと、自分がどう思っているかを大切にしてください。
僕にとっては今のところ写真ですが、これからはわかりません。
実際文章にも興味が出てきています。
興味がある、楽しいことをどんどんやっていきましょう!