比較しない生き方

比較しない生き方

前の「これまでの生き方」と「これからの生き方」で比較された世界について書いたが、もう少し書きたいと思う。

誰かの為に生きること

前の記事では誰かの為に生きることが幸せなのではないかということを言ったが、もう少し詳細に言うと、

  • エゴの世界から離脱すること
  • 感謝して生きる

ということだと思う。

エゴの世界から離脱すること

現代社会は、効率化することが正義な社会と言えるのではないかと思う。

どれだけ早く、大きく、たくさん作るかが重要視された世界。

人間にとってメリットがあることだけを重視した世界。

幸せは自分の捉え方次第

社会は誰かよりも優位に立つことが良しとされている。

だから、いかに短時間で効率よく成果を上げるかということが良しとされていると思う。

Youtubeの本の要約チャンネルの多さや切り抜きチャンネルの多さから見てもわかるが、ネットの世界ではそれが顕著に表れている。

人類は文字を発明して後世に知識を残すことが簡単にできるようになり、飛躍的に進歩した歴史がある。

一概に効率よく成果を上げることが悪いといっている訳ではないが、そちらに振れ過ぎるのも問題だと思う。

ゆっくり動くことでしか見えない世界もあるし、ゆっくり動くことで自分中心で行動できることが多い気がする。

例えば、急いで移動している時は自分の頭の中は、今感じている世界のことではなく、先の世界が頭にあるから急いでいる。

ゆっくり移動している時には、今に意識があり、自分の考えや感じていることに集中できる。

幸せは自分で見つけるものだと思うので、ゆっくり移動している時の方が自分と向き合えて幸福感が多い実感がある。

だから僕は、移動は車よりも自転車、自転車よりも徒歩を選ぶ。

ガソリンを使わないとエコだしね。

欲望

欲望は良くもあり、悪くもなりうるものだ。

良い欲望と悪い欲望の違いは、欲望の軸が自分にあるのか、他人にあるのかだと思う。

名誉欲金銭欲地位欲などの欲望は、他人に自分がどう見られるかで、どこまで行っても他人に軸がある限り求め続けてしまい本人も満足することはないんじゃないだろうか。

それよりも、自分が何がしたいのか、誰とも比べずに自分は何をしていれば満足できるのかということを求めて生きていった方が良いと思う。

多くの人がそんな価値観で生きていれば、自分の行動で満たされ、他人を尊重した世界になりそうな気がする。

人間は結局、何か食べてうまいって時とか、ありがたいって思えたり、ありがとうって言われてれば良いんじゃないかな。

最近知っためちゃめちゃ好きな曲を載せとく。

osamurai

osamurai

洋服屋さん、営業、放浪、ニートを経て、いまはwebデザイナー。
自給自足の生活を夢見て、東京から石川県へ移住。
これからどうなることやら