先日、いつもお世話にになっている農家さん(家族野菜tsugutsugu)の畑体験に行ってきた。
畝立て、種まき、人参収穫を体験させていただいたが、2時間ぐらいの作業だったが、汗びっしょりで農家さんは大変だなと身をもって実感した。
そこで農家さんに、10月か11月頃に車が手に入ることを伝えたら、
「余っている農地があるから、畑やりたいんだったら貸すよ!」と言っていただいた!
ずっと前から畑がやりたくて、それに一歩前進したので、記念になぜ畑がやりたいのかまとめてみようと思う。
自立したい
僕が現実的に将来のことを初めて考えたのは高校生の頃だ。
中学生の頃に将来を考えた時には、先がわからないという理由で選択が限定される工業高校などは選ばずに、進学校を選択した。選ぶことを先延ばしにした結果だ。
高校生の頃には、「早く自立したい」という気持ちが大きなり、2年間で社会に出ることができ、大学出身という肩書きが得られるという理由で短大を選択した。(当時は、一般的には短大が大学出身という見方はされないことは知らない)
今は、貨幣経済に組み込まれた自立は本当の自立ではないのではないんじゃないかと思っている。
自立は、字のように自分で立つことだ。
いや、お金という媒介があり生活できていることは、本当に自分で立っているのだろうか。
お金があるから自分が立つことができていると僕は思う。
お金はその価値が保証されているから、みんながやりとりができるわけで、もしもその価値がなくなってしまった時には、自分は何を価値として提供できるだろう。
歴史的にもハイパーインフレという、物価が上昇しすぎて商品を買うことができないという現象は何度も世界各地で起きている。
このハイパーインフレが日本でも起きないという保証はない。
日本の経済が順調のように見えていても、それは政府が税金を投じて銀行などに融資している結果だという見方もある。だから国債は毎年増加しているんじゃないだろうか。
もしも今の貨幣経済がうまくいかなくなった場合、自分は生きていけるのか、お金の価値が保証されず、物価が高騰した場合生きていけるのか自信はない。
リスクヘッジ
副業を推進する動きが活発(この動きも企業の都合のよい話だと思っている)な昨今、複数の仕事をもつことは僕は概ね賛成だ。
概ねといったのは、「生きるための仕事」と「やりたい仕事」をわけることができるという理由からだ。
今までは、一般的には生きる仕事が仕事と定義されてきた時代だった。
だが現在は、やりたいことをして生活している人も大勢いると思う。
生きるための仕事からやりたい仕事へ一気に移行するのはリスクが高すぎるので、まずは一旦やりたい仕事を始めてみて、うまくいきそうであれば、やりたい仕事のみへ切り替えていくのがリスクは少ない。
その過程として、2種類の仕事を橋渡しとしての副業は大いに賛成だ。
だが、もう少し思考を進めると、仕事をすることは究極的には生きる為だと思う。
先ほども書いたが、やりたい仕事は貨幣という媒介があるから成り立つわけで、貨幣の価値がずっと保証される理由はない。
生きるということを考えると、自分で生きるためのものを作り出す力があれば最悪生きていける。
生きるための仕事と、楽しむための仕事は分けたほうがリスクは分散されるので、畑、狩猟、釣りができれば、それだけで生きていくことはできる。
趣味や、やりたいことは、その余剰分でやればよいと思う。
それが難しい人は、信頼できる人で、畑や狩猟、釣りなどをしている人が身近いても良いと思う。
生命を感じたい
全ての生き物は生かされていると思っている。
生き物は食べないと生きていけない。
植物や動物を食べることは、その生命を自分の生命へ変換することで、自分は生きていくことができるということだ。
今はお金が媒介していることで、生命のありがたみが薄れてしまっていると思う。
当たり前のことだが、スーパーで売られているお肉は、元からロースやカルビだったわけではない。
元は牛、豚、鶏という生き物だった。
動物が切り身にされてスーパーに陳列されると、とたんに生命が隠れ、食べる為に殺すという汚い部分は排除され、きれいな部分だけを見させられる。
この営みは、健全なのだろうか。
実際に自分が食べるために動物を殺したら、自分はどんな気持ちになるのか。
本来はその行為が生きるということだと思うので、その体験がしたいと思っている。
主に動物のことを書いたが、実際に自分が野菜を育てた時には、自分が食べるためにその野菜を育てているので、動物よりもその感情は薄いかとは思うが、生きることの解像度が上がる気がしている。
人間は動くようにできている
デスクワークが多くなっている昨今、座りすぎが健康によくないということや、スタンディングデスクというものが体によいと言われている。
これはずっと同じ姿勢でいることは身体の構造に合っていないということで、動くように出来ているということだ。
最近は健康の為にジムに通うことを選択している人が多い。
ジムに通う為に仕事をして、そのお金で運動をする。
なんて非効率なんだろうか。
生きる為の仕事と運動が出来ること(畑)をした方が効率的だろう。
みんながその選択ができないことは理解しているので、思考をその方向へ向けておくことは必要だとは思う。
自分で生きていけるという自信があれば、嫌な仕事は断れる
仕事をするということは、生きていく為には必要なことだ。
今までは、一つしか仕事がない為に、嫌な仕事が来ても今後の為に断るという選択がしにくかったが、生命を維持する為の仕事(畑など)が自分で確立できていれば、やりたくない仕事を断りやすくなる。
これは、やりたくない仕事をしないという利点だけでなく、やる仕事も自分が選択したんだから良いものを提供したいという前向きな気持ちも生んでくれるので、クライアントにとっても自分にとっても良い結果を出せると思う。
まとめ
僕がどう思っているかということを書いたが、僕の考えは極論的な部分があることは重々承知していので、みんなそうあるべきだとは思っていない。
ただ、自分の人生を選択する自由度は上がると思うので、この方向に進むことは自分の将来を作ることには役立つんじゃないかと思う。