だんだんと暖かくなり、最高気温が20度を超える日も出てきた。
僕の家の周りには農地が多くあり、通常の車は通れずにトラクターなどの農業用車両専用道路もあるほどだ。
そんな春を感じ始めるころ、農家の方々の仕事はトラクターで土をおこすことから始まるようだ。
トラクターで土おこしされた後は、カラスやトンビたちがその上に群がる。
土の中に埋まっていたミミズなどの虫たちを食べているのだろう。
野生の動物たちは、自分の力をなるべく使わずに食事を得る手段を知っているのである。
「もう暖かくなってきたから、そろそろ人間が地面を掘り起こしてくれてミミズが食べれる季節だ」
なんて考えてるのかと思うと、ちょっと笑えてくる。
動物の欲望はシンプルで良い。
人間の欲望はどうだろうか。
快適に生活するために、人間以外が住みにくい世界にしていないだろうか。
人間の快適を求めすぎて、人間や他の生き物たちが生活していけない世界にしていくんじゃないだろうか。
経済発展では幸福にはなれない
2020年はコロナの影響で世界中の人々が外出を自粛した結果、ウミガメの産卵や世界中の環境が良くなっているという記事を多く見つけることができる。
国の一番の目標は経済発展である。
GDPが何位だ、先進国や発展途上国という表現も、経済の発展で比べられている。
高度経済成長期の幸福のものさしは、物質だった。
「物質の豊かさ=幸福」だと経済発展を目指すことは納得できる。
現在は物が世界中に溢れ、「物質の豊かさ=幸福」は成立していない世の中に変わっているのではないだろうか。
必要以上のものを作り続け、人間の欲望を必要以上に刺激し経済発展を目指していないだろうか。
少数の幸福は、多数の不幸から作られている気がしてならない。
幸福とは
数年前に世界幸福度ランキングが発表され、ブータンが一位を取った。
ブータンは発展途上国で、経済的には豊ではない国だ。
それでも国民は幸福に生きている。
これだけで答えがわかるのではないだろうか。
自分にとっての幸福を見つけるのは時間がかかる。
その行為から逃げ、お金という架空の価値を使って得られる一時の幸福感はすぐに虚しさを生む。
そして、また別の一時の慰めてくれるものを得ようとする。
その循環が経済で、その先に人間の幸せはないのではないかと思う。
人は経済を発展させてために生きているのだろうか。
一時の慰めではなく、自分が本当に求めていることに向き合い、その大きすぎる流れを俯瞰して見れるようになりたい。