古市憲寿さんの講演があり、聞きに行った。
テーマは「現代の幸福論」について。
幸福度調査
幸福度調査によると、日本の場合、あなたは幸福ですかという質問で「幸福だ」「やや幸福」「やや幸福でない」「幸福でない」という四つの選択肢だと、7割りが「幸福だ」「やや幸福」を選ぶらしい。
また、幸福だという人の年齢の分布は、子供時代とと老年が高く、中年に下がるU字に分布するらしい。
参考:人生の幸福度を調査「47~48歳が最低…最高値に達するのは82歳以上」
この内容に古市さんは、歳をとるとあきらめるから幸福になるとおっしゃっていた。
これはエイジングパラドッックスといい、3つのモデルが示されている。
- 目標を調整しながら、自らの持てる資源を動員し、少しでも前の状態に近づこうとする方略
- 加齢に伴った資源の喪失が大きく、前の状態に近づくのがむずかしいときに、そのことをよいことだと捉え直したり、他人よりもよいと考えたり、無理やり納得させたり、目標をあきらめたりするという方略
- 幸福感を維持すること自体が高齢者の目標となる
古市さんはエイジングパラドックスと年齢の幸福度調査を合わせて考えると、若い時の幸福度が高いのは、今の状況に満足している(より良い未来をあきらめている)若者が多い結果、幸福度が上がっている。
だがこの結果は、挑戦をしないことや、変わっていくことをしない選択だから、日本の未来はよくない可能性があるともおっしゃっていた。
嫌いな人はサンプルとして見る
人はどうしても合う合わないがある。
合わない人に遭遇した場合は、「人のサンプル」として捉えてい見て、「そんなことするんだ」などと面白がって見ている。
他人と過去は変えられるが自分は変えられない
一般的には過去や他人は変えられないが、自分は変えることができると言われている。
古市さんは昔から逆で、他人と過去は変えられるが自分は変えられないと思っていた。
これは、物質と精神の話だと思う。
一般的の「過去」は起こった出来事をさしていて、古市さんの「過去」は精神をさしている。
起こった出来事をどうとらえるかは変えることは出来ると。
一般的の「他人」は他人の精神を差し、 古市さんの「他人」は引っ越せば変えられるとおっしゃっていたので物質をさしている。
古市さんの話し方
古市さんの話し方にはパターンがあり、
- 結論を言う
- 理由を説明
- 例を出す
- まとめ(次につなげる)
この方法はビジネス界隈では推奨されている話し方で、先に結論を言うと、「ほうほう、理由は?」と聞いている人の興味を引く方法だ。
何か一方的に話す時には使いやすいだろう。
僕が思ったこと
幸福は客観的なものではなく主観的なものなので、比較してしまうこと事態に問題があるんだろうと感じたが、これは前々から思っていたことで、古市さんも同じように感じているんだなって思った。
幸福度調査について調べると、おそらくおっしゃていた例は、先ほど例であげたサイトでは日本だけでなく、世界の先進国の132カ国での調査のものなので、日本の未来ではなく、先進国の未来ということだ。
そもそも論になるが、個人的にはこういった調査は意味がないのではないかと思っている。
例えば、まったく同じ状況の2人がいたとして、二人とも幸福か不幸かは決まっていないだろうし、その本人がその状況をどう捉えるかだけだと思う。
古市さんのような方でも情報ソースはさほど変わりなく、データを集め、それをどう伝えるかが違うんだろうと思った。
そこで改めて感じたのが、高城剛さんと岡田斗司夫さんの先見の明で、この二人ほど先を見れている人はいないんじゃないかと思う。
このお二人は、お互いベクトルが違ズバ抜けていると感じる。