着古したTシャツに、100均のセリアの布用スタンプでロゴっぽいのを入れた。
作業はかなり簡単だ。
- 好きなフォントを探す
- A4で色んなサイズの文字を配置
- プリントアウト
- 文字をくり抜き、気に入るサイズ感の文字の大きさでスタンプをポンポン
たったこれだけの作業で、自分だけのTシャツが作れる。
自作Tシャツのお気に入り感は想像以上だった。
なぜこんなにお気に入りになったのか
最近思っていることだが、物を大切にするっていうことは、物に自分を移していくことなんじゃないかと思っている。
僕たちが、一番時間をかけて一番大切にしてる物は、自分の体だ。
この体を維持し、健康である為に食事や睡眠をとる。
この日々の行動も、物を大切にしているのと同じで、メンテナンスに時間をかけていると言ってもいいのではないだろうか。
物に時間をかけただけ、物と自分が同化していく。
Tシャツに、自分の好きなフォントで好きな文字を入れる。
今まで散々着古したのTシャツに、自分の好きな要素が混ざって、物と自分との距離が近くなる感じがする。
僕の主な移動手段は自転車だ。
定期的にメンテナンスをしないとギアに土がたまったりして調子が悪くなるが、メンテナンスすると気持ちよく走れる。
メンテナンスも、物に時間をかけるという意味では、自分との距離を近づけることと同じだと思う。
メンテナンスをする度に、この自転車が好きになっていくのがわかる。
これからの価値
正直なところ、Tシャツを作ることや自転車のメンテナンスは気持ち的にめんどくさいのは事実だ。
一歩踏み出すまで、腰が重かったし、これからも重いんだと思う。
だけど、この自分を移していく作業の重要性は、これからどんどん増えていくんじゃないかと思っている。
大量生産、大量消費の時代はとうの昔に終わっている。
それは、均一化された工業の終わりを意味し、その対局である、それぞれのアイデンティティを物に移すことが価値になるんだと思う。
楽と楽しいは同じじゃない
移住してからずっと考えていたことがある。
車を買うか、買わないか問題だ。
移住して約半年経とうとしているが、自転車の移動で全く問題は感じていないし、自転車での移動が好きだ。
だが、車がないと、やりたいことであった釣りができなかったり、ちょっと遠くに行きづらいというデメリットもある。
車を買うと日々の生活コストが上がって、働く比率が上がってしまう。
これは「楽」と「楽しい」が相反している良い例だろう。
物に自分を移す行為は、決して楽ではないが、楽しい行為だと思う。
無理にTシャツをちゅくったり、自転車に乗ってメンテナンスをしなくても良い。
例えば、
- コンビニで弁当を買って食べるのではなく、自分で料理をする
- 車での移動を自転車や徒歩にしてみる
などなんでも良くて、自分の生活で誰か(何か)がやってくれていることを自分でやってみるだけで楽しい生活になると思う。